レイライン紀行『東北応援団』ツアー

1

2011年5月5日

東北応援団ツアー参加者のみなさんは熱かった~
5月5日。本日!午前08時30分過ぎ・・予定より2時間以上の遅れでしたが、
無事、レイライン紀行“東北応援団”ツアーの皆様が静岡駅に到着されました。
皆様、本当にお疲れ様でした!!

今回のツアーレポートですが、早速、弊社、添乗員(通称:コミー)からご報告!と行きたいのですが・・
1泊4日の弾丸ツアー。
参加者はもちろん。さすがに大ベテラン、コミーも尋常でない(予測不可能な現地対応に)神経を張り巡らしていた為・・・疲労困憊状態。
身内ながら、しばし・・ゆっくり身体を休ませてあげて・・との思いもあり。
添乗員報告は、あらため『ご報告』をさせていただきます。
その代わり・・・では、ございませんが
今回、ツアーご参加頂きました(過去、弊社ブログにもメイン出演されておられる方です)
通称:ためいきおじさんK氏が今回のツアー詳細を克明にご自分のブログに投稿されており、
是非、皆さんにご紹介させて頂きたく、ご本人承諾の上、ブログをご紹介させていただきます。
リアルな現場、現地の声、空気、参加されている方の“想い”、汗、復興への道 Kさん!ご協力ありがとうございます。


ためいきおじさん風鈴日記 ~レイライン紀行「東北応援団ツアー」編~ 15
4月最初の週末、
今回の大震災で何かできないだろうかと悩んでいた情熱的行動マンY氏が、
岩手の災害ボランティア「NPO SAVE IWATE」の代表である友人と連絡をとりつつ、
とりあえず現地に行って温かいものでも食べてもらって、要望を聞いてこようと、
近所の人たちの手を借りて作った百人前の「静岡おでん」と「いなりずし」を積み込み、
息子と交代で運転を続け、10時間かけて現地へ出かけました。
陸前高田の被災地の惨状に接するとともに、温かい「おでん」を小さな部落の人に食べてもらえ、
一言「ありがとう」の言葉に涙しました。
同時に、被害がほとんどない盛岡を中心とした内陸部も経済活動、消費行動が停滞し、
観光や商業サービス業など経済が火の消えた様子に接し、
「東北復興の主人公は地元のひと」、
「ここにお金が落ちてこない限り本格的な復興はない」と確信。
遠くのわれわれは、
被災地復旧でのボランティア活動を通じ、
被災地の現状そして被災者の心情を知り、
同時に岩手の観光や物産にお金を落としてこよう!!
いざ!岩手へ・・・・1拍4日の弾丸ツアーへの参加を!!!
(R旅行社のK社長がツアー企画)という、熱いメールが届いたのが4月18日。

やはり、何かをしなくては。。。と思いつつも何もできない自分にいらだっていた身には・・・・
そして、Y氏の熱意と行動力に感動して。。。即、申込。

職場にもチラシを配布したものの・・・関心は薄く、
あらためて自分の職場ってこれでいいのだろうか?
静岡の人って結構冷たいのかもなどと思いつつも・・・・
******************
29日からの3連休に、
作業できる服装(長靴、ポンチョ、ゴム手袋、ゴーグル,防塵マスクetc)の準備を整え、
リュックに詰め、缶詰などの支援物資を紙袋に入れて両手に持ち、
お財布には現地での軍資金をいっぱい?入れて・・・・
いざ・・いざ・・・の予定は・・・・

2日の夜、
8時半、静岡を出発。10時間ののち、
3日朝、岩手県遠野市のボランティア支援センターの指示により被災地でのボランティア活動。
その夜は盛岡市近くの「鶯宿(おうしゅく)温泉」で宴会。
4日は、朝から盛岡手作り村、南部鉄器工場、盛岡市内散策(石割り桜など)、
夕方は日本酒の蔵元で現地の支援グループと交流会、
そして4日の夜盛岡を出て、終夜バスを走らせ、
静岡に5日の朝返ってくる、
バス2泊、現地1泊の超ハードなもの。この体がもつか、心配。

*5月2日(月)仕事を終えて、20:00過ぎ静岡駅南口に集合。
* 待ち受ける大型バスでは、知った顔も多数、老若男女の顔・・・が。

最後列の指定座席に身を沈め、期待と不安のうちに20:40 出発。
現地には翌朝7:40予定。 長くて厳しい夜行バスの旅がはじまった。

途中、清水、富士(21:00)そして東京新宿西口(23:50)でそれぞれ参加者が乗り込む。
東京からは、フジテレビの取材スタッフが同行。総勢44名。
バス定員45名目いっぱい。(うち2名が取材クルーそして1名が交替運転手で、実質41名の参加)

ここからは、ただひたすら走る。
トイレ休憩のSAや道路には観光バスの姿は皆無。
東北道の下り線は関東ナンバーや西日本のナンバーの乗用車が目立つ。
被災地支援なのだろう。

久しぶりの夜行バス・・・さすがにこたえる。
腰やら肩やら足やらお尻やらがパンパン。
眠るとはいっても浅い眠りが続く。

福島から宮城までは、ところどころ渋滞に遭遇。
岩手に入って、地震の被害は見当たらない。
田んぼでは田植えが始まっているし・・ 屋根瓦も落ちていないし、
車窓からは、緑豊かな風景や郊外店が並ぶ地区を通り過ぎていく。

*****5月3日(火)****
遠野にあるボランティア支援センターに到着したのは、8:30過ぎ。
予定より1時間ほど遅れた。
ここには全国各地からのボランティアが参集。ここで、受付し、作業を指示される。

遅れた到着のために何の作業になるのか・・・なかなか決まらずバスで待機。
この間、受付表・確認書に持病、体調などを記入提出・・・・と、
その直後私への呼び出しが・・・ 「何だろう?」といくと・・・他に2人が・・

黄色いガムテープをポンチョの腕に貼られて、カードを渡される
そこには、氏名と既往症(高血圧、投薬治療中)血液型、緊急連絡先を書き、ポケットにいれる・・

いざ、体調がわるくなったら・・・現場ですぐ対応できるようにという、要注意人物、ということです。

どうせ作業するなら、被災地で・・・という願いが通じたのか・・・決定。
一番つらい作業「さんま」に・・。
それも、岩手でも最も被害の多い「陸前高田」で・・

「さんま」って?
実は、津波で水産加工業者から流れ出た何百トンという「さんま」や「しゃけ」「いくら」が腐敗し始めており、
これらを除去する作業。

9:00過ぎに出発。
服装の確認・・・ゴム手袋を用意していない人が多く、途中のお店でそれぞれ購入。
(ここで後で後悔することになる大切な品物を入手することを忘れた)

遠野からは約1時間半ほど・・・ 山の中の道を進む。
自衛隊の車両がめにつきはじめる。
しかし、周りの風景は・・・普通の田舎の風景。
川沿いの道を下る。内陸部では桜が満開だが、しだいに葉桜が多くなってくる。

突然、川の木々が変色したり、ごみが川べりに散在するようになる。 と・・・乾いた、土気色の風景が目に・・・
海に続く川は、津波が逆流した後を残し、
間一髪で津波から免れた家屋、一階だけ無残に襲われた風景。 線路が失われたJRの軌道・・・

3 <山の中なのに・・・この風景>

4
そして海岸沿いの集落だったであろうと想像する場所にでる。
災害復旧用にあけた道路だけがやけに目につく。。。
高さというものが失われた一面の荒野が目に飛び込む。
車がとんでもない角度ではこばれ、2
階建ての屋根の上にがれきが乗り。
鉄筋だけになった建物など。
窓や戸はことごとく破壊され・・・
そうだ。これは、まさしく破壊だ!!! 人工物を一切運び去り・・・かわいた泥の世界
6

がれきの中の道を進み、ボランティア活動最前線の現場に立つ。
時に10時40分。
山に囲まれた谷沿いの集落か?海まで2.5キロほどらしい。
ここまで津波は押し寄せ、家屋やら工場やらのがれきが残されている。
わずかに山沿いの高い位置の民家が残っている程度。
音もしない、わずかに魚の腐敗臭が・・・そしてぺしゃんこになった水産加工場が・・・
仮設トイレがいくつかおかれている。
先行したボランティアバスはなんと「さんま1号車」。6号車までが並んでいる。
ここで、思い思いに服装を整え、整列。時間は11:00前。
7

現地のボランティア隊長から指示を受ける。
「みなさん御苦労さまです。よろしくお願いします。。.・・・・そうだ。作業の前に確認しておきます。
みなさん靴は踏みぬき防止になってますね」
「????」
「じゃあ、踏みぬき防止の中敷き用意してきた方は?」 「はい」・・・と、なんと私ひとり。
隊長「・・・・・・」。
「えーっと、現場は釘とかガラスのかけらが多くて、ボランティアの方の事故が急増してます。おまけにほとんどが破傷風の症状を訴えてまして、病院送りが続き、先日から踏みぬき防止ができない靴では一切現場に入らせないようにしているんです。もう少し早く到着していたら、ここで中敷きを買っていただけることもできたのですが・・・」
「・・・まあ、仕方ないですね。じゃあ、別の作業をしてもらうよう考えます」と、スタッフと相談後
「じゃあ、消毒、消臭作業をしていただきます」

仲間のT氏に「こちらは安全靴もあるし、なんとか現場作業できないか聞いてくれないか・・」と。
隊長「ああ、いいですよ。安全靴なら・・ぜひ参加してください」
T氏、さっそく長靴から安全靴に履き替えると・・・
もう一人のメンバーも「ああ、俺も安全靴。鉄板入り」 ということで、3人が隊長の案内で、3~400メートル離れた現場に。
8 <現場・・・手前には可憐な黄色のスイセンが花をつけている>
伊東市から来たという若い女性班長の6班8人に編入され、さっそく作業に。メンバーは11人。
それは、冷凍会社の倉庫から流れ着き、なかば土に埋もれた何百トンかわからない、鮭やさんま、いくらを回収。

沢沿いに駆け上った津波は、山肌3メートルくらいまで。
茶碗やら、家具、衣服、おもちゃ・・・など、生活用品がそこここに顔を出している。
まさか、魚の回収を山の中でやるとは・・・それほどまでに津波の威力を感じさせられる。
9
何気なく拾った写真・・・結婚式で父親らしき人がスピーチをしている。
半分は泥に隠れてはいるが・・・こうした思い出のあるものも拾っていく。

青いビニール袋には、まるまると太った7~80センチクラスのの鮭がおさめられている・・・
そして段ボールには7,5キロのさんまが詰まっている。腐敗がはじまりつつあり、異臭が漂う。
ビニール袋を引き寄せると破れ、大量の蛆が・・・そして解け始めピンクサーモンの身があらわれ
これらを手で回収し、拾った容器を利用して、重機で掘った穴に運ぶ。
幾重にも積み重なった「鮭」は重く、スコップもなかなか入らない。
腐りかけた重く大きな魚体を手で持ち上げ運ぶ。さんまも、乾いていればいいが、下のほうは生で・・・
そして、いくらの異臭は・・・想像を絶する。
ハードなボランティア作業だ。
段ボールを手に取れば、破れ、さんまの群れが・・・そして大量のいくらが・・・
足元はぐじゃぐじゃとなり・・ポンチョに泥が飛び散る。
10

無理はしないでください」
「がれきには触らないで・・・」 班長の声がりんと響く。
1班の行動範囲は20メートル四方ほどと意外と狭い。 班長、副班長が全員の行動に目が届く範囲に置いている。
1回の作業時間も30分以内とし、絶えず休憩と全員の点呼が行われる。
400人ほどのボランティアが動いているが、重機はたった1台。
ただ、広大な風景が広がる。住民も生活感もない。
ボランティアのみ・・・本当にここが復旧できるのかと思わざるを得ない。

12:30 午前の作業終了。待機所にもどり昼食。鼻にいつまでも異臭がのこる。
1時間の休憩ののち、再度現場に・・・
午後は、ビニールハウスとともに流されたさけとさんまのまさに吹き溜まりの場所
11
 
20110505212537632 <重機で掘った穴に投入>

13 <同僚もぬかるんだ泥に足をとられながも懸命に作業>

14 
午後は、気温も上がり、汗でまみれる。これから気温が上がっていくにつれ過酷な作業になるんだろうと想像する。
午後2時半、作業終了。体力と安全を考慮して作業時間は短い。
作業道具を沢まで運び。。 片付け・・・・そして、午後3時半、現場を後にする。
他の仲間たちは、隊長の配慮で他の場所のさんまの回収作業に従事。
谷の上のほうは津波を免れた民家が・・・作業道具を洗うために沢のほうに移動する途中の民家。
縁側に座っていた老夫婦が、ガラス越しにそろって頭を下げている光景を見て思わず胸がいっぱいに。

信じられない世界・・・テレビの映像や写真では想像もできない景色のなかで・・・まさに茫然自失。
置き去られた民家、一階は冷蔵庫が壁を突き破り、車が家屋に突き刺さり・・・
一方、高齢者の部屋であろうか、紙おむつのパックが新品そのままにおしいれのなかにあったり・・・
ここに住民が返ってくるのには・・・ さまざまな思いが胸に去来する。

この後、盛岡市郊外の雫石町 「鶯宿(おうしゅく)温泉」に向かう。次はお金を使う番だ。
バスの中で、初めて参加者が自己紹介。
横須賀から参加の高校1年は両親と。 千羽鶴を用意して、どこかの高校に届けたいと・・・。
この人たちはネットでこのツアーを知り、ぎりぎり参加セーフ。
東京からも70代の男性はじめ数名参加。
職業もさまざま。60代はじめの御夫婦の参加も。
参加の動機もさまざま・・・しかし、同じ作業を通して連帯感が高まっている。
いつの間にか、みんな仲間になっている。

旅館には、18:00到着。温泉にはいり、汗と異臭を流し・・・・
「夕食には鮭とさんまといくらは出ないで」と祈りながら大広間に集う。
そして、A氏の音頭で乾杯! この企画を仕掛けたY氏も目的の半分を果たし・・・満足か。
でも、サーモンの刺身があったのは・・・?
地元の神楽がお披露目されたり・・・関係先から、お酒三升が届けられたり・・・・九時過ぎまで盛り上がる。
なぜか、この晩は予約が急増したとかで、われわれは12人部屋。
修学旅行の雰囲気を20代から60過ぎのおじさん(私)と共有。
さすがに枕投げはなかったのですが・・・。
部屋でお酒をあけるも、疲れと寝不足で次第に布団にもぐりこむ人が・・・ 11時ころのはみんな熟睡。

*****お金使う編は、続きで*****

この模様は、朝日新聞5月4日号全国版に掲載されました。
また、フジテレビでは、5月6日の16:53安藤優子のスーパーニュースの中で10分程度放送される予定です。
なお、地元のマスコミも3日、4日とテレビカメラで密着取材。

*****5月4日(水)****
あけて、4日。曇り空。元気のいい人は5時過ぎにはウォーキングに。
かのY氏。巨体を揺らしながらウォーキングに・・・。
朝食はゆっくり8時から。まず、ビールで乾杯。 なんと、鮭と筋子がでた。
9時半旅館を出る。盛岡市に向かう。
岩手山は頂上が雲に隠れている。遠くの山々はまだ雪景色だ。
内陸部の桜は、満開をやや過ぎたとはいうものの見ごろ。
のどかな田園風景が続く。
盛岡手作り村には、10時ごろ到着。
さまざまな体験工房や土産物をそろえたこの場所は、たくさんの親子連れでにぎわっている。
気仙沼ホルモンやら、牛のステーキ、コロッケ、空揚げ、三陸わかめなどの地元産品の露店が並ぶ広場の真ん中に陣取り、地ビールで乾杯、食い漁る。
テレビ局のスタッフも苦笑いしながらこの模様を映像におさめる。
親子連れのなかで異様なおじさんたちが、
さあ、いかにお金を使おうかと、次から次と交代で買い出しに出かける。
おなかは、また膨れ上がる。
南部せんべいやら、なにやら土産袋でたちまち両手がふさがる。
冷麺で有名な「ぴょんぴょん舎」では宅配土産の受付に列ができる。
お金を使おう第2弾は順調な滑り出し。
11時過ぎに次の南部鉄「岩鋳」へ移動。
ここでも、急須やらフライパンやら風鈴やら・・・高額なものは何万円とするものを購入。
特売の急須は早々と売り切れ・・。
総出で送り出した人たちのにこにこ顔はいつまでも続いてた。
第3弾も期待にこたえて、予想通りの成果。
お昼をまわって、1時ころ盛岡市内に。ここから4時までが自由行動。
お金を使おう第4弾。
お昼は・・・土産は・・・と三々五々散る。
われわれは、盛岡3大麺(冷麺、じゃじゃ麺、わんこそば)のうちじゃじゃ麺に挑戦。
白龍(ぱいろん)本店に向かう。
しかし、長蛇の列。
あきらめて、盛岡駅前の「ぴょんぴょん舎」の冷麺目指してタクシーで・・・
ここも、順番待ち。
しかし3階まである広大な店舗。あんなにされた3階の座敷にはすでに仲間が4人座って食べていた。
ここで冷麺コース(焼き肉3種、冷麺)1670円を注文。マッコリ1000cc、1800円もオーダー。
さすが、人気店。店もきれいだし、味もなかなかのもの。
乾杯!
昨晩の宴会で日本酒3升をいただいた経済団体にお礼のあいさつに。
震災相談窓口で休日返上で出勤していた職員にわずかばかりの八十八夜の新茶を手渡す。
物産館で買い物をし、16:00過ぎバスに・・・
最終行程。
日本酒の醸造元を訪れ、土産物を買うとともに・・・
今回のボランティアのきっかけとなった地元支援団体 「NPO SAVE  IWATE]の本部でそれぞれ用意した支援物資をとどけ、その本部を見学。
3時まで過ごし、町の中心街を歩きながら集合場所へ・・・ 4日は、最近にないほど人出が多いとか・・・
その後、代表との交流会の行事へ。
消防団の古い番所にある本部には支援物資が整然と積まれ、ここから各避難所の要請に従い物資を送りだします。
静岡からも応援に駆け付けた女性もいて・・
しかし残念なことに、Y氏の友人である代表は前日にけがをして入院。代わりに奥さんが立ち会ってくれた。
NPOが同時に進めている町屋保存の状況を視察し、6時からは日本酒飲み放題の宴会。
最後のイベントを楽しみ・・・20時すぎ、すべての行事を終了。
フジテレビそして地元テレビのクルーも去り・・・バスで一路静岡に・・・・

1泊4日、60時間のうち30数時間のバス乗車時間に耐えた今回のツアーは、
それぞれ拍手で参加者を送りつつ 静岡駅前に5日朝8時半到着。

一人ひとり、さまざまな思いに包まれて「お疲れ様」「御苦労さま」の声とともに それぞれの帰路に・・・

ありがとう 40人の仲間たち。
同じ環境と時間を共有できた満足感でいっぱいです。
そして何よりも 情熱と行動の人  T/Y氏に感謝です。

このレポートは、「ためいきおじさん風鈴日記」 こちらから