ミャンマー第2の大都市で国のほぼ中心地にあるマンダレーは、ミャンマー北部の経済中心地としても知られています。以前は自転車の利用者が多く、車が少ないのがマンダレーの特徴でしたが、現在はバイクの数が増えてきました。マンダレーは乾燥地帯にあり、気候は冬は穏やかですが夏は暑いです。年中の平均気温は33℃、降水量は134mmあります。古代のミャンマーの文化財、文学、伝統的の芸術が保護されています。マンダレーの主要産業は織物業、農業、伝統工芸品業です。1853年から1878年まで王位にいたコンバウン王朝のミンドン王はマンダレーヒルのふもとに王宮と街を建設しました。1885年ティーボー王の時代にイギリスの植民地になり、マンダレーは25年間の王都としての歴史を閉じました。現在までミンドン王時代のパゴダ寺院などや伝統芸能などが残っています。
ミャンマー最後の王朝となったコンバウン朝の王宮です。ミンドン王が1857年から建設を始め、4年後に完成されました。1885年にイギリスが占領してティーボー王はインドへ連れ去られ、ミャンマーを植民地として王宮を軍の施設としました。時代を下って1942年には日本軍に占領され、1945年3月、日本軍と英印連合軍との戦闘に王宮は巻き込まれ、炎に包まれてしまいました。戦後、ミャンマー国軍の施設として利用されていますが、再建された王宮の建物を一般開放しています。王宮は高さ8メートル、幅70メートルの濠に囲まれており、各所に監視塔が建てられています。東西南北計4本の橋で街と結ばれています。
マンダレーヒル南東のふもとにある「世界最大の書物」と呼ばれているパゴダです。中央にある塔はバガンのシュエズィーゴォンに似ていますが大きくなく、周辺に730基の小さなパゴダが並んでいます。マンダレーヒルの頂上からその全景が良く見えます。729枚の碑文に仏陀が涅槃に入るまでの説教をまとめた経典が書かれています。晴れた日には青空、緑の木とパゴダの白さが鮮やかなコントラストを作り、とても美しい風景が見られます。
ミンドン王時代にはマンダレーで第5次仏典結集が行われ、王は2400名の僧を集め、仏典を完全は形で大理石の石版に彫り写す作業をさせました。その1枚1枚を納め、それが実に729枚にもなりました。730番目の石版には、このパゴダの由来や完成まで6ヵ月間かかったことなどが記されています。
マンダレーヒルのふもとにある寺院で、本堂にある大きな石仏はマンダレーの約30キロ北にあるサジン山で産出された品質が良い巨大な一枚岩で彫られました。この山は良質の大理石を産出することで有名です。1865年ミンドン王(在位1853~78)が寄進しました。ウーベイン橋を渡った先に、同じ名前のパゴダがあります。バガンのアーナンダ寺院をモデルにして作られた為、外形は少し似ていますが、内部の雰囲気が異なります。マンダレーのチャウットーヂーパゴダにある本尊の石仏と同じサジン山の大理石が使われています。東西南北にある入口の天井にはフレスコ画が残されています。北の入口を守っているのはライオンではなく、上半身が人間で、下半身がライオンの伝説の生き物「マヌーシア」です。
市街の南の外れ、旧空港から北西へ約1キロの所にあるマハムニパゴダは、マンダレー最大にして最も重要なパゴダです。マハムニパゴダの名の由来は、本尊にあたる高さ約4メートルのマハムニ仏から来ています。この仏像はボードーパヤー王(在位1782~1819)の手によってヤカイン地方から運ばれてきました。仏教の信者が階段を登って仏像の脇へ上がり(女人禁制)、思い思いの位置に金箔を貼っているのが見られます。境内には多くの建物があり、その中にはカンボジアで造られ、アンコールワットに置かれていた6体の人間やライオンの形をした青銅像が置かれています。この青銅像は1431年タイ軍がアンコールワットから持ち去り、1564年にはアユタヤーに攻め込んだミャンマーのバインナウン王がバゴーへと持ち去りました。その後1600年にはバゴーのハンタワディー王朝が崩壊した時にヤカインのラザヂー王が持ち去りましたが、1784年にボードーパヤー王がマハムニ仏像と一緒に持ち去りました。この像には、自分の具合が悪い部分と同じ場所をなでると体の調子が良くなるという言い伝えがあり、像の名部はなでられてツルツルに光り輝いています。マハムニパゴダは毎日午前4時ぐらいに仏像の顔を洗う特徴があり、ミャンマー仏教徒たちの熱心な信仰心が見られます。
旧王宮の北東にあるマンダレーヒルは丘全体が寺院となったマンダレー最大の聖地で、南参道入口の両側を2頭の大きな真っ白のライオンが守っています。頂上は広いテラスになっており、中央の塔には仏像が安置されています。テラスからはマンダレー市街や旧王宮、エーヤワディー川、ミングォンなどが見られます。また、マンダレーヒルから美しい夕日をご覧いただけます。マンダレーヒルに数ある仏像のなかでも名高いのは「予言を与え給う仏陀」像。仏像は高さ約8メートル、全体が金箔でチーク材を彫ったものがあり、このような巨木を丘の上まで運び上げ、仏像に彫り上げたミャンマー仏教徒達の熱心な信仰心が窺えます。旧王宮の方角を指している仏像の前には、いつも大勢の人々が参拝しています。
1878年にミンドン王が建設したアトゥーマシー僧院は1890年の火事で焼けました。ヨーロッパ人の観光客からはマンダレーの建物の中でこの僧院が一番奇麗だと言われています。
クトードォパゴダの近くにあります。ここには1866年に暗殺されたカナウン王子の遺体が埋められています。ウーカンデイ隠者が建設したと言われています。パゴダの境内には1774の塔があり、仏典を刻んだ石版が納められています。
クドードォバゴダの南にある木造の僧院。ミャンマーの昔ながらの僧院で木造のものは数が少なくなっており、貴重な文化財となっています。19世紀コンバウン王朝の末期にミャンマー最後の王、テイーボー王が寄進しました。1878年にテイーボー王の父であるミンドン王が亡くなった後、息子のテイーボー王が即位し、父王のため功徳を施したいので父王が住んでいた宮殿の寝室にあたる建物を分解し、ここで王宮の外で組み立て、当時のラージャグルサムテイラというお坊様のために寄進しました。土台から屋根まで美術品一杯で作られているものとも言われています。もともと宮殿だった時から建物全体に金箔が貼られているため、シュエナンドー寺院と名付けられています。(シュエ=金、ナンドー=宮殿)マンダレー王宮の創始者であるミンドン王は国の内務的なこと、大事なことなどを大臣と会議を行う時に使用していました。東から西へ15本の柱、北から南へ10本の柱があり、合計150本の柱から出来ています。1番端にある各柱にはトーナヤーという想像上の動物が彫られています。角の柱にはトーナヤーが3つもあり、合計54頭のトーナヤーで守られています。竜/龍に似ていますが、手、足と角が付いているのが特徴です。土台は大理石で作っているのが見られます。外の通路側にある柱の一番上も大理石で被っているのが見られます。降水量が高いミャンマーの国では木造建築物が長持ちするよう、そうした工夫をしてあるのです。屋根は3段あり、この種類をゼタウォンといいます。東の方で1つ、南と北の方では2つの階段があり、階段は煉瓦造りになっています。その3段の屋根に装飾している木造彫刻は考古学者の努力で5年前に取り入れられたのが多いのですが、オリジナルの物も少し残っています。当時フランスとイギリスから取り入れた最新技術を使用して、作られた鉄板やガラス材も見られます。仏像が置かれている玉座の上にはローカナッと言われる平和の神様が飾ってあります。
マンダレー最大のマーケットで大きなビルの中にたくさんの商店がひしめきあっています。マーケットには色々な商品や日常生活品などが売っていて大勢の人たちで賑わっています。ちなみに26番通りと84番通りの角に建っている時計塔は、イギリス植民地時代にビクトリア女王の即位60周年を記念して建てられたものです。
金細工工房は主にマンダレーが有名です。18世紀アラウンパヤー王様の時代に金細工技術が最初に出来ました。金細工で壁絵、操り人形、踊り子の服装やロイヤル服装(得度式用服装)などが作られています。
金箔はパゴダ参りに必要な物です。マンダレーではその金箔を作る過程を見学出来ます。金箔を作るのはとても大変な重労働です。工房ではまず竹の皮を3年間水につけ、柔らかくなったものを乾燥させてから叩いて薄く延ばします。そうして準備した竹の皮に金粉を包み、大きなハンマーでひたすら叩きます。工房では、ハンマーの重々しい音がひたすら響き続けます。そうして金箔が出来上がると女性達が一定の大きさの紙に金箔を挟み、完成品にします。紙や金箔が飛ばないように暑くても窓を締め切ったまま作業は行われます。そうして長い時間と手間をかけてやっと完成する金箔が仏像と仏塔に貼られます。そこには御仏のために尽くし功徳を積んだ人々の自負が込められているようです。
マンダレーの南12キロのアマラプラにシルク織物の工場があります。シャン州のインレー湖にあるインポゴン村でもシルク織物工場があるますがデザインが異なっています。昔はシルクの織物を王族しか使いませんでしたが現在ではミャンマーの女性が様々な儀式のためよく使っています。
マンダレーの南の方にあるタンパワデイ地区に木彫りの工房があります。宗教的な建物やホテルなどで木彫りをよく使っているのを見かけます。
マンダレーからエーヤワディー川をインワ鉄橋で渡るとザガインに着きます。ザガインは静かな遺跡の町、僧院の町、パゴダの町とも呼ばれています。歴史は1315年、バガン王朝の崩壊後、シャン族の王がここを都と定めましたが長くは続かず、1364年にはインワに遷都されました。その後、王都の歴史を閉じて、パゴダや僧院が次々に建てられ、現在は仏教修行の中心地となりました。
ザガインの外れにある丘です。丘全体が150以上のパゴダと僧院で覆れており、頂上にあるソンウーポンニャーシンパゴダのテラスからは遠方のマンダレーヒルとカウンムードーパゴダが見渡せます。頂上から少し下った所から道路を外れ、長い参道を歩いて行くとウーミンゴーゼーパゴダがあり、またさらに少し下りると、ウーミントンゼーパゴダがあります。
ザガインからモンユワ方面へ10キロほど行ったところにザガイン最大のパゴダ、カウンムードーパゴダがあります。入口をライオンに守られ、境内には高さ45メートルの塔があります。このパゴダは1636年、インワを王都として定めたターロン王が建てました。
アマラプラからさらに南へ下ると、道の右にカーブしながらエーヤワディー川を渡るインワ鉄橋に至ります。この道はエーヤワディー川との交流でシャン高原地方から流れてくるミンッゲー川に突き当たって行き止まりになり、そこに船着場があります。旧名はパーリ語でラダナ・プラと呼び日本語に訳すと宝石の町と言う意味になります。インワは1364年にビルマ族の都となりました。約400年間ビルマ族王朝の都として栄えました。1752年にモン族の攻撃を受けて破壊されましたが、コンバウン朝によって王都になり、1838年に発生した大地震で大きなダメージを受け、1841年にターラーワディー王はアマラプラへの遷都を決意し、インワの王都としての歴史を閉じました。
1818年に、バヂードー王の王妃が高僧のために建てた僧院です。当時は木造が一般的でしたが、この僧院は煉瓦で造られたため現在まで残っています。1838年の地震で被害を受けましたが、1873年に再度修復されました。
エーヤワディー川をマンダレーから10キロほど遡った対岸にあります。船を使って往復で半日必要です。
コンバウン王朝のボードーパヤー王(在位1782~1819)が、世界最大のパゴダを目指した未完成のパゴダ跡が残っています。完成していれば世界一高いパゴダになっていましたが、ボードーパヤー王が建設途中にこの世を去ったため土台部分が完成した後の工事が中断され、その後の1839年の地震でヒビが入って部分的に崩れてしまいました。但し、上部に登ることが出来、エーヤワディー川、マンダレーヒルなどの素晴しい風景が見渡せます。
1808年、建設中の巨大パゴダのためにボードーパヤー王が造らせた巨大な鐘です。口の部分の外が約5メートル、重量は90トンでヒビの入ってない鐘としては世界最大級です。
バヂードー王(在位1819~37)が、皇太子時代の1816年に他界した皇太子妃シンピューメェを悼んで建てたパゴダです。スメルー山(須弥山)に建つといわれたスラーマニパゴダのように建てられました。
マンダレーの南約11キロにある、現在では南の町という意味の「タウン・ミョー」と呼ばれるアマラプラはパーリ語では「不死の町」を意味し、エーヤワディー川とタウンタマン湖に挟まれています。1783年、ボードーパヤー王がインワからこの地に王都を移動しましたが、40年後の1823年にバヂードー王が都を再びインワに移しました。その後1841年にはターラーワディー王が再びアマラプラへと遷都しましたが、1857年にミンドン王がマンダレーへ遷都を決定し、再び移ってしまいました。その時に主要な建物などはマンダレーに運ばれたため、今では王都があった場所としか記録に残っていません。現在は織物産業が有名な町です。
ウーベインとは、インワからアマラプラへ遷都された時の市長の名前です。彼はインワの旧王宮からチーク材を運び、アマラプラの東に広がるタウンタマン湖を渡るために全長約1.2キロのこの橋を架けました。160年も前に造られた橋です。
ミャンマーは19世紀後半にイギリスの植民地となり植民地経営のために多数のイギリス人がやってきました。暑い国ミャンマーでどこか過ごしやすい場所はないかと聞かれたら高原の町ピンウールインが一番いいという答えが返ってきます。マンダレーの約70キロ東にあり、海抜は1,100メートルほど。ピンウールインは気候が良く涼しい町です。その昔植民地時代にはイギリス人の別荘地でした。ミャンマー人の旅行先として人気があります。
2001年5月に拡張されて400エーカーを超える広大な規模となった植物園です。園内には大きな池があり、それを取り巻くようにさまざまな植物が植えられています。観光スポットとしても人気で週末には広い園内を回るバギーに乗って楽しむ家族連れの姿も見られます。ピクニック気分でのんびり楽しみたい方にお奨めです。
一番古くピンウールインから一番近い滝はポエカウ滝(ビーイー滝)です。ピンウールインから8キロ離れています。野生の花が奇麗に咲いていて友達や家族と一緒に遊びに行くには素敵な場所です。
ピンウールイン郊外にあり、奥行き約600メートルの錘乳洞を利用した洞窟寺院があります。谷あいの大駐車場か続く屋台群を抜けると岩肌に大きく開いた穴から大量の水が流れ出しています。元来はただの洞窟だったものが、政府により1990年に大規模な改装工事が行われ、国内の有名寺院を模したパゴダやたくさんの仏像が納められ、一大観光地に仕立て上げられました。
その昔、マンダレーから3体の仏像を作って中国へ送る時に、途中で1体の仏像が車の上から落ちてしまいました。その仏像を車に引き上げる為に努力しましたが、かなり重いためあきらめました。その為、その仏像を残して他の2体を中国へ送りました。この残された仏像は周辺のお坊さんのお陰で簡単に上げられました。それによって、この地にパゴダを造ってこの仏像を安置するようになりました。珍しいこの仏像をお参りする参拝客が多く訪れます。
マンダレーから西へ約160キロ。エーヤーワディ河の支流であるチンドィン川の東岸に発達したモンユワは人口約20万人、サガイン最大の都市です。古くからインドとの交易の中心地として栄え、インドからの密輸物資がここから国内各地へと送られる集散地でもありました。現在でも商業が盛んで、大通りをたくさんの乗り物が行き交いしていて活気があります。町自体は地味ですが、郊外には不思議な形をした寺院や自然の洞窟を利用した寺院など見所が多い所でもあります。マンダレーまで来たら、ぜひ足を運んで見ましょう。
特異な外観で異彩を放っている寺院です。広い敷地内にたくさんの建物が並んでいますが中心になるのは針山のように塔が林立した本堂です。その内部には58万体を超える大小様々な仏像が置かれています。本堂の隣には回廊に囲まれた池があり、魚がたくさん泳いでいます。功徳のため魚に餌をやる人も多く、高い塔の上から周囲に広がる緑の平原が美しく眺められます。
チンドィン川の西岸に位置し、ポーウィン山の近くにあります。寺院と洞窟の中には13~18世紀の壁画が見られます。
タンボッデーパゴダ、ボディタタウンは1,000本の菩提樹と言う意味を持っています。お釈迦様が菩提樹の下で瞑想して最後に悟りを開きました。1,000本の菩提樹の下に1,000体の大理石で出来た仏像が置かれています。山崖には大きな涅槃仏があります。
ポンダウンポンニャ山脈に位置しており、死火山でたくさんの洞窟寺院があります。麓から参道を登って行くと岩肌にたくさんの穴があり、その中はすべて仏像が安置された小寺院が見られます。洞窟の中には明らかに入口より大きな涅槃仏が横たわっているのも見られます。13~14世紀のインワ王朝時代の壁画が残された洞窟もあります。
マンダレーの東北128マイル(80キロ)の所にあるモゴックから取れたルビーやサファイヤなどは品質が良く世界的に有名です。その他にも色々な宝石が多く産出されます。ルビーの品質は世界で一番といわれています。